27回生 植田益朗

同窓生シリーズ 第96回

「ガンダム」から40年。数々の作品を世に送り出したプロデューサーが多感な10代に受けてきた影響とは

40年にわたり、アニメ業界でプロデューサーや制作会社代表として活躍されてきた植田さん。「真面目な話はできませんよ、不良高校生だったんで(笑)」と和やかな雰囲気で取材は始まりました。

植田益朗 さん

植田益朗 (うえだ ますお)

(株)スカイフォール 代表取締役/プロデューサー

略歴
1974年 都立新宿高校 卒業
1979年 日本大学 芸術学部映画学科 卒業
1979年 日本サンライズ(現サンライズ) 入社
TVアニメ『機動戦士ガンダム』制作進行/劇場版『機動戦士
ガンダムIII めぐりあい宇宙篇』よりプロデューサー
1995年 サンライズ 常務取締役/退社後、フリープロデューサーに
2003年 アニプレックス 統括チーフ・プロデューサー
デジタルハリウッド大学大学院教授 等
2010年 A-1 Pictures(アニプレックスの子会社) 代表取締役社長
2015年 アニプレックス 代表取締役
2016年 アニプレックス 取締役会長
     ソニー・ミュージックエンタテインメント 常務顧問
2018年 スカイフォール (Skyfall) 設立

―植田さんが新宿高校を選ばれた理由は? その頃から映画など映像には興味があったのでしょうか?

当時は学校群制度だったので、自分の偏差値から新宿なら入れそうだな…ということでたまたまですね。 映像への興味のルーツといえば、私は世田谷の祖師ヶ谷大蔵の生まれで、近くに東宝撮影所や円谷プロダクションがあって。親父が映画会社で仕事をしていて、子供の頃から現場に触れる機会はありました。でも映像、ましてやアニメの仕事に就こうなんて子供の頃は全然思ってなくて(笑)。高校に入る頃は、小学校で勉強の面白さを教えてくれた先生の影響で教師になろうと思っていました。

―当時の新宿高校はどんな感じだったのでしょうか?

植田益朗 さん
新宿高校1年戸山戦応援団の時

ちょうど70年安保が終わって学生運動自体は下火になりつつあった時代ですが、まだ少し燃え残っている感じでした。身近な校則の問題とか運動になるテーマはあって、興味を持ってました。教師になろうと考えていただけに教育問題に関する本や現実の学校の現状も見ていると、次第に教師になるという夢はなくなっていきました。やっぱり現状に対して何か納得いかないところがありましたね。何かしなければという気持ちが強かったです。新宿高校に入ってなければそういう空気に触れられなかった。それは間違いないですね。

―進学よりも、もっと大きな意味で勉強になった?

すごくいろんなことを教えてもらったというか『考えさせられた』時期だったんだろうな…。人間てね、10代の時にどういう経験をするかだと思うんですよね。色々なものから影響を受けるし、言ってしまえばすごく真面目で真剣だし、自分の人生をどうしようかと思って悩んでいる時だしね。

でも時代は変わりつつあり先生達も悩んでいるように感じました。

自分達が思いをぶつけても、理解を示してくれる先生もいれば、頭ごなしに否定する先生もいる。でも、どちらも真正面からリアクションがかえって来ない。そうするとこちらも拍子抜けするわけです。テーマも拡散していき、どんどん自分達のやっていることがわかりづらくなって、自然と仲間たちはそれぞれの道を歩み始めて…。当時私は生徒会副会長で、その時の生徒会長が私の影響で映画の世界に入ったんです。彼が、後に僕を映画の世界の引っ張ってくれることになるんですけどね。

―そして日大芸術学部に入学したのですね。

途中から明確な将来の目標も無くなり当初は大学受験をしようという気もなかったのですが、卒業近くに、することないなら大学にでも行った方がいいのかなと思ったのです。実にいい加減ですね。
 その頃親父が日大の職員で、学費が免除になるので、親にお金で迷惑かけたくないし、映画好きだし日大芸術学部だったら良いかなと。映画はシナリオが大事だと思っていたので、ものを書くのも好きだし映画学科シナリオコースに進みました。でもしばらくやってみて、シナリオライターには向いてないとわかって(笑)。高校で生徒会長だった彼に誘われて、実際の現場に通うようになりました。最初は正史の「獄門島」というテレビシリーズでしたね。それから学生時代いろいろな作品で装飾や小道具など美術系の仕事を手伝うようになりました。

―サンライズにはどのような経緯で入社されたのですか?

植田益朗 さん
初のガンダム劇場版スタッフと(前列左から2番目が植田さん)

全くの偶然なんです。大学卒業間近にテレビ番組の海外ロケに誘われて、タダで行けるならって喜んでいたらその話がなくなって(笑)。他の仕事を断ってたから2ヵ月空いちゃったんです。で、遊んでいても仕様がないので大学に行ったら「日本サンライズって会社が制作進行を募集しているぞ!」って教えてもらった(笑)。
面接に行ったら即採用。会社の壁には作品のポスターが貼ってあるんです。「サイボーグ009」とかがあって、これやりたいなあって思ったら「君にやってもらうのはガンダム」と言われて、何それ?って(笑)。

―後に大ヒットアニメになりましたよね。

ただ、一緒に作ってた先輩たちはみんな作品が終わったら会社を辞めちゃって。私も制作進行を続けるのはしんどいし演出になろうかと思ってました。そうこうしてるうちにガンダムの映画化が決まって、現場を知っているのはお前だけだからと言われて映画の現場に。3本のうち2本目でアシスタントプロデューサー、3本目でプロデューサーになりました。
ガンダムを経験して、アニメって色々できるな、プロデューサーの肩書が向いているのかなと。そこからはその立場でアニメに関わることになるんです。

―お話を伺っていると、その場その場の状況に柔軟ですよね。

本当はそれではいけないのかもしれませんが、「こうじゃなきゃいけない」とか「こうあるべき」とかを全面に出しすぎるのは好きじゃないんです。その時々の状況の中で自分が面白いと思ったら何でもやっちゃう。それに対しては妥協しない。「シティーハンター」制作時も、会社では初めての少年ジャンプの漫画原作で誰もやったことがない。面白そう!だから燃えるわけですよ。

―その頃にはアニメが好きになっていたんですか?

植田益朗 さん
ガンダム劇場版Ⅲ打ち入り(右から2番目が植田さん)

どうかな?(笑)。でも今でもアニメ業界は好きなんですよ。作ってる人達も好きです。守ってあげたいし頑張らせてあげたい。
自分にとってアニメは『趣味』ではなく『仕事』なんですよ。仕事として最大限自分の能力を発揮する。
映画(実写)は『好き』なんです。でも好きだと冷静に観られない。どっかでズレちゃう。実写とアニメはまるで違います。好きなことと、プロとしてできることは明らかに違うんだなと思う今日この頃です。

―最後に、今の新宿高校生にメッセージをお願いします。

アニメを作る上ですごく大事なのは、『価値観』がちゃんとあるかどうか。各々の価値観をぶつけたり摺り合わせたりすることが、人に感動を呼び寄せるのに一番必要だと私は思っているんです。
価値観は変わっていくものですけどね。僕なんて教師になりたいと思って高校に入学したのに、3年の時は学校そのものを否定してたんだし(笑)。
 これから生きていくその時々で大事なことは何かと常に考えて、でもそのことにも疑問も持って。そうした自分にとっての『価値観』を大事にしてほしい。そう思います。

―本日はありがとうございました。