同窓生シリーズ 第104回
型にハマらず、遠慮をするな!
制服の自由化や受験偏重主義の廃止など「7つの要求1」を掲げ、校長室を占拠したという卒業生がいます。
在学時代は、学生運動や反戦活動が盛んだった1960年代末。
その頃の想い出とともに、現在の新宿生へのメッセージをいただきました。
塩崎 恭久 (しおざき やすひさ)
1975年 東京大学卒業後、日本銀行入行
1982年 ハーバード大学大学院卒
1993年7月 衆議院議員当選後、外務副大臣・内閣官房長官・厚生労働大臣などを歴任
2021年10月 政界を引退
現在はゲノム医療、薬剤耐性問題等に取り組むとともに、地元・愛媛県で里親登録しつつ、里親支援NPOを運営
URL: https://www.y-shiozaki.or.jp/
高校時代はどんな生徒でしたか?まずは留学前から教えてください。
実は新宿高校を選んだ理由は単純で、家から近かったから。ごく普通の生徒で真面目に授業を受け、勉強もしていたと思う。試験後に貼り出されるトップ30内には入っていたかな。ただ、その頃の新宿高校を囲む環境は今と違ってね。授業中、教室から見える木賃宿2にはいろんな人がいて、少々刺激が強いというか(笑)。そこで社会科学研究部で四谷警察署に行って地域の事情を調べて、朝陽祭で発表したよ。朝陽祭前夜には男子生徒が素っ裸でプールを泳ぐという奔放な習慣もあって、僕も泳いだな。気持ち良かったよー。
2年生の時のアメリカ留学で、カルチャーショックを受けたと聞いています。
当時のアメリカはベトナム戦争のまっただ中。高校は受動的じゃなく、生徒が主体的に学ぶんだ。先生の考え方も違った。たとえば全盲の生徒がいると先生は一切、黒板を使わずに授業をしていたね。それが当たり前、みんな平等。向こうでは反戦集会に行ったりもしたし、多様性を認め合い主体的に勉強や行動する価値観に大きく影響を受けたね。それで日本に戻ると、母校はやっぱり堅苦しくて、毎日が受験のための勉強という感じ。何かが違うと思ったね。だから生徒会長に立候補したし、同級生だった坂本龍一君や、生徒会などの有志で校長室を占拠して「制服制帽の自由化・試験の廃止」など、7つの要求を出したんだ。いわゆる学園紛争というやつだ。先生達も僕らとちゃんと向き合ってくれた。やっぱり学校は自由で、人間味のある場でなくちゃね。
在学中の新宿生へ伝えたいことはどんなことでしょうか。メッセージをお願いします。
人には優劣はなく、誰にでも価値があることを忘れないでほしい。いろんな人、いろんな価値観を持った人達がいる。それが社会だと思う。そして、大事なことは学歴だけじゃない。もちろん勉強ができることは素晴らしいことだ。でも自分の持つ能力や才能で、どれだけ社会に「貢献」できるのかを考えることが大切だ。社会に出たら、「貢献」が求められる。「貢献」を養うためには、自分の限界を決めたり型にハメたりしないで、挑戦することが必要だと思う。
そして、高校生のうちは遠慮なんかしちゃいけない。やりたいようにやるのがいい。もしかしたら今、何ができるのか、何をしたいか分からない人もいるでしょう。そんな人は、たくさんの仲間や周りの人と意見を交わしてほしい。いろいろな考えや世界を見聞きして可能性を広げてほしい。自分の未来を信じてほしい。
昭和42年9月2日 提供:新宿歴史博物館
卒業から今までを振り返って、人生における高校時代とは?
人生の原型が、高校時代だったと思う。夜遅くまで仲間と語り合ったこと、学校をさぼって喫茶店や映画館に行ったこと、学校の制度に納得がいかず意見を戦わせたこと。これららができたのは本当に気の許せる、心ゆくまで語り合える仲間がいたからだと思う。高校を卒業して、坂本君は音楽の道で、他の仲間もそれぞれの道で「貢献」していったと思う。僕が議員をしている時に高校時代の仲間が様々な力を貸してくれた。皆が頑張っているから僕も頑張ってこられた。だから自分の人生の原型。僕がいろんな経験をできたのは親のおかげだとも思っている。だから親御さんも、子どもを型にハメず、限界を設定したり抑え込んだりすることなく、子どもに何でも自由に挑戦させてほしいな。
政界引退後も、里親や子ども達の未来を応援する活動に積極的に関わっている塩崎氏。まだまだ型にハマらず、「貢献」を続けています。