48回生 原田 将史

同窓生シリーズ 第103回

新宿高校館山寮の再建に携わり、一級建築士として活躍されている原田将史さんにお話を伺いました。

原田将史さん

原田 将史(はらだ まさふみ)

東京生まれ。武蔵野美術大学建築学科卒。

2002-2012年 手塚貴晴+手塚由比/手塚建築研究所勤務
2012年    独立し、Niji Architects 設立
2014年    ニジアーキテクツ一級建築士事務所を谷口真依子氏と共同設立
2014年~   日本工業大学 非常勤講師
2015-2016年 武蔵野美術大学 非常勤講師
2016年~   都立新宿高等学校キャリアガイダンス講師
2019年    ARCASIA(アジア建築家評議会)主催のアワード“Architecture Asia Awards for Emerging Architects 2019”を受賞
2019-2022年 新宿高校館山寮再建第1期、第2期工事の設計監理に従事

個人住宅から集合住宅・オフィス・店舗等あらゆる用途の建築を提案。居心地の良さを追求した建築は、多数メディアにも紹介され、2023年8月には原田氏らが設計した「段庭の家」がテレビ朝日系列「渡辺篤史の建もの探訪」にて放映された。

建築家を目指そうと考えたのはいつ頃ですか?

中学2年生の頃です。もともと理系科目や工作などの物づくりが得意だったのと、建築家という仕事があると教えてもらって、魅力的な仕事だなと思ったのがきっかけです。もうそこから建築家になって有名になってやるぞみたいなのは思っていました。

その後も高校・大学と目標はブレずに順調に進まれたわけですね?

そうですね、目標は変えることはなくずっと進んできました。順調と言えるのかはわからないですが(笑)。高校がとにかく楽しくて、でも全然勉強しなかったので大学受験では二浪しましたし、大学卒業後は設計事務所で10年勤めましたが、そこでも色々大変なことはありました。ただ、やりがいのある仕事ですし、辛いと思ったことはないですね。今もまだ目標を達成できていないと思っているので、常に目標に向かって頑張っているところです。

新宿高校を卒業して良かったと思ったことはありましたか?

同窓生の結束の強さを感じます。仕事で得をしていることも多いと思います。同期にも自由に仕事をしている人がいたりと、久しぶりに会って話をしても楽しいです。自主自立の精神、基本的に自分で何か考えて行動できる人たちが多いです。

せっかくなので館山寮のお話も伺いたいです。

もともとは、朝陽同窓会の方から紹介されたことがきっかけです。実は通常のプロジェクトと比較すると、スケジュールと予算がほぼ半分でした。特に工期は本当にギリギリだったのですが、そこはちょっと工夫をして。専門的な話になりますが、建屋を小割にしてそれぞれを離し、渡り廊下で繋いでいます。そうすることで戸建住宅同様の審査期間で確認申請を通すことができます。元の建屋の構成を踏襲しつつ、新たな提案も加えながら進めていった感じです。

前の建物よりも、窓が変わって涼しくなったという話を聞きました。

山側の窓が腰高ぐらいの高さだったのを、天井まで目一杯に上げて、もともとフラットだった天井は屋根なりにして高さを変えました。海風が上に抜けてくれるので、涼しくなったのだと思います。あと、屋根の中にぎっしり高性能断熱材を詰めていて、しっかりと熱を遮っています。ほかには建屋を繋ぐ渡り廊下にもこだわりました。生徒が語らう場だったり、ちょっとしたドラマが生まれることがあってもいいなとか、実際の生徒の様子を思い描きながらっていうのは結構大きいですよね。僕自身ももちろん遠泳に参加しましたし、そこで過ごした思い出があるので、できる限り記憶に残る空間づくりがしたいなと思って設計しました。高校生がいずれ卒業して、またここに帰ってきたいなと思ってもらえるといいなと。

原田将史さん
再建された館山寮の建築模型

館山寮のエピソードもお聞かせください。

一番記憶に残っているのは、寮の敷地内に猫がいて、何日目かの晩にやたらとニャーニャー鳴いていたんです。で、朝目覚めたら、隣の友達の布団の中で赤ちゃんが生まれてて(笑)。

受験や大学生活、就職についてお伺いします。

浪人1年目は理系の予備校に通って勉強をしていましたが、このまま同じようにやっていても上手く行かないだろうと思ったんです。でも建築家の夢は諦めたくない。どんな方法があるかと調べたときに、美術大学の建築学科を知りました。そこで2年目は美大受験に切り替えて勉強をしました。武蔵野美術大学の建築学科に入ってからは、1作品を半年かけてずっと考えて設計して、図面を描いたり模型を作ったり、提出直前は何日間か徹夜を続けたり、そんなこともありつつ、でもすごく楽しかったのであっという間に4年間過ぎた感じです。また、自分の方向性をさらに決定づけるきっかけとなったのが卒業後のヨーロッパへの一人旅です。1か月で6か国を回りました。そこで見た建築は、どれも自分がやりたいと思うものばかりだったんです。帰国後、就職活動を始めましたが、まずは自分の経歴書や作品、自分のできることや生き様を盛り込んだポートフォリオを1か月かけて作りました。そして縁あって就職した建築事務所で、10年ほど勉強しました。

建築事務所でのお仕事はどんな感じでしたか?

原田将史さん
就職直後に赴任した新潟県十日町の現場

入社していきなり現場担当になって(笑)。新潟の十日町という山奥での勤務でした。5ヶ月ぐらい過ごしましたが、右も左もわからない状態で。雪深い冬の生活が、東京育ちの僕にはかなりのカルチャーショックでした。帰京してからも、決して楽ではなく、本当に修業といった感じで、最初の3年間ぐらいは毎日怒られっぱなしでした。それでも5年ぐらい過ぎてくるとだんだん信頼も得られて任されるようになり、自分のペース、自分の考えが通るようになりました。その後独り立ちできるなと思ったタイミングで独立をしました。

最後に現役高校生に向けて一言お願いします。

キャリアガイダンスでも、たとえ受験に失敗したとしても、ちゃんと自分の頭で考えて新たな道を作っていけば必ず目標は叶えられるよという話をしています。受験だけが全てじゃなくて、どういう道が他にもあるかっていうのを常に意識しておけると良いのかなと思うんです。僕、最近の学生を見ていて思うのは、すべてスマホの中で完結していて、インターネットが普及して世界が広がったはずなのに、気が付くと今逆にスマホというすごい狭い世界に閉じこもっている子が多くて、あんまり情報を知らないっていうか、調べることをしない子が多い。調べ方が分からない、学校の先生からこう言われたからこれしかしない。もうちょっとその視野を広げられるといいかなと。人生はすべて工夫だと思っています。設計の仕事もそうで、決してお客さんに対してできませんとは言わないんですよ。必ず何か道はあると思っていて、実際、ずっと考えていくと突然道が開けるということがあるので。設計図でもそうですし、人生でも常に考え続けることですね。

原田将史さん
ARCASIA主催の授賞式(クアラルンプール)にて奥様と