52回生 田久保 裕之 ~編集後記も掲載~

同窓生シリーズ 第106回

母校を愛し、伝統を繋ぐ〜

現在、母校である新宿高校で教鞭をとられている、田久保裕之さんにお話を伺いました。

田久保 裕之 Hiroyuki Takubo

1981年 東京都世田谷区生まれ
2000年 東京都立新宿高等学校卒業(52回卒)
     同時に新宿高校硬式野球部監督(~2005年)
2004年 日本体育大学体育学部卒業
     学校体育研究室所属、レクリエーション研究会所属
2006年 東京都立園芸高等学校 軟式野球部監督
2010年 東京都立小山台高等学校 
     定時制課程・全日制課程硬式野球班助監督
2014年 第86回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)出場
2017年 東京都立新宿高等学校 硬式野球部監督
2025年 在任9年目

母校への赴任が決まった時の心境を教えてください。

いつかは母校である新宿高校に戻りたいと考えていました。なかなか希望が叶うことではないので、決まった時は、日本一幸運な教員なのではないかと思いました。こんな幸運に巡り会えたという喜びと、ワクワク感でいっぱいでした。校舎は私が通っていた頃とは違っていましたが、4月1日、門をくぐって学校に入っていく時、またここに通うことができるのだと、胸がジーンと熱くなったことを今でも覚えています。

教員として戻り9年が過ぎようとしている今、赴任当初と心境の変化はありますか?

赴任した当初といえば、思い出されるのが箱根セミナー合宿です。72回生の担任として入学式を終え、次の日からすぐ、生徒と1泊2日の合宿へ出発。赴任して1週間で、あれよあれよという間にバスに乗せられ、合宿に出発したことを覚えています。他の先生方は、2月くらいから綿密に計画を立てられての合宿ですが、都立小山台高校から同じように赴任したばかりの松永先生(数学科)と2人、来たばかりでどうしたものかと・・。これはもう割り切って楽しむしかないと腹を決め、バスで「浪漫飛行」を熱唱して、あっという間に新宿高校の流れに飲み込まれていきました。これが、新宿高校教員生活のスタートとなりました。

それからすぐ、臨海教室のプロジェクトリーダーになり、準備を進めていくことになりました。生徒として大遠泳に参加したことはありましたが、学校側の立場として参加することは初めてだったので、運営の仕方について右も左も分からない状況。いつ学校に来て、いつ帰ったのか分からないくらい必死に取り組んでいましたね。「学校の歴史を貫く柱のような存在」である臨海教室、試行錯誤はまだ続いています。教員として新宿高校に戻り時間が経つと、改めて新宿高校の良さが見える一方、自分が知っていた当時と変わってしまったり、消えて無くなってしまったりしたことにも目が向くようになってきました。

今年で9年目が終わろうとしています。私自身の心境の変化としては、「良くする」とか「新しく生み出していく」ことより、「時代に合わせて変えていく」ことが必要ではないかと感じています。昔はこうだったと突っ走っても何も残らない。変化に違和感を感じる時もありましたが、今では時代に合わせて変えながら、大事なところや意味のあることはちゃんと遺していこうと思っています。今は「繋ぐ」とか「遺す」、そういうところを考えて過ごしていますね。自分がいなくなった後も、新宿高校の良さが繋がっていくように。

イチローさんと共にした2日間

制約が多い環境下、野球部監督としてどのように指導されてきましたか?

2023年の秋から、先輩でもある長井正徳先生(47回生)と監督を交代し、今では助監督という肩書きで指導に携わっています。本校の硬式野球部は、練習環境や活動期間に制約がある中でも「言い訳をしない」という姿勢を大切に活動しています。「24時間すべてが練習」という考えを生徒に伝え、練習時間だけでなく日常の行動や心構えも成長に繋がることを強調しています。道具の調達や練習試合の工夫など、制約を逆手に取って工夫を重ねることも指導の一環です。

活動においては、勝利だけを目的とせず「価値ある経験」を重視しています。特にコロナ禍では思うように練習や試合ができない時期がありましたが、「野球を通じて人として成長することこそが本当の目的」と伝え続けました。部活動で培われるのは技術だけでなく、仲間と支え合い努力する姿勢や困難を乗り越える力です。「文武同道」をモットーとする指導は、部員たちにとって大きな支えとなっています。勉学と部活動の両立は容易ではありませんが、学習の習慣や時間管理の力を身に付けることも、また生徒たちの成長の一部です。学生野球憲章にもある通り、勤勉と規律は常に我らと共にあり、さぼらずルールの中でフェアの精神で心と体を鍛える事です。技術の習得以上に生徒が社会で生き抜く力を養うことを重視しています。

こういった本校硬式野球部の姿勢が評価され、2022年の秋には、イチローさんが「僕の興味で来ました」と指導に来てくれました。今までの活動が間違っていなかったと認められた気がして、とても光栄でした。もちろん今後の目標としては甲子園に行くことですが、勝敗を超えた経験が生徒たちの将来に確かな財産になることを願い、日々の指導に繋げています。

熱が入る野球部の指導

高校時代の思い出をお聞かせください。

高校時代を振り返ると、野球部以外にも多くの思い出があります。忘れられないのは、テスト前期間に放課後の教室に残っていた日のことです。窓の外に見えた新宿御苑の落羽松が夕日に染まり、思わず見とれてしまいました。普段は練習に直行するため、そんな景色を目にすることはなく、ああ、これが高校生の放課後なんだと実感しました。友人とゆっくり帰路についた何気ないその時間が、今でも心に残っています。行事ではスキー教室が特に印象的でした。2学期の終業式が終わるとそのまま志賀高原へ向かい、体育科の先生だけでなく引率の先生方が全ての班を担当して指導してくださり、私の班は生物の先生が一緒に滑ってくれました。夜には仲間と凍り付いた駐車場で素振りをしたり、最終日には班ごとに演技発表をしたり。冬の厳しい練習をひととき忘れられる貴重な行事でした。また、当時の朝陽祭は3日間にわたり、初日は世田谷区民会館で演劇を上演しました。2・3日目は現在と同じ形式で、最終日の後夜祭ではグラウンドに高い櫓を組み、キャンプファイヤーを囲んでフォークダンスを踊るなど、今では実現が難しいかもしれませんが、まさに「青春」の一場面でした。野球に励む一方で、こうした行事や友人との時間も大切な思い出となり、野球だけの3年間ではなかったと感じています。

1999年7月 5回戦(ベスト16)敗退翌日、野球部員と(後列中央)

現在の新宿生にメッセージをお願いします。

OB教員として新宿高校で過ごす中で強く感じるのは、「新宿生は本当に可愛い」ということです。臨海教室で大遠泳に挑む前に見せる緊張した表情や、仲間や水泳部OBの方々と食卓を囲む充実した顔。約百年前の先輩達と同じことを今こうやっている姿を目の前にすると、問答無用で可愛いと思ってしまいます。だからこそ放っておけなくて、時には厳しく接することもあります。特に野球部の後輩には厳しかったかもしれませんが、それも愛情ゆえですよね。

新宿生の魅力は、勤勉さ、素直さ、そして愛嬌を高いレベルで兼ね備えているところにあります。勉強にも行事にも全力で取り組み、周囲から愛される。こうした生徒は、社会に出ても必ず成功すると信じています。そして、ぜひ母校を大切にしてほしい。楽しんだ分だけ、後輩たちを可愛がり伝統を繋げてほしいのです。いずれ自分も先輩になる、その時に後輩を支える存在になってほしい——そんな願いを込めています。

また、保護者の方々にも3年間を第2の母校と思って楽しんでほしいとお伝えしたいです。受験も学校行事の1つと捉え、親子で一緒に楽しむ。そんな大家族的な温かさこそが、新宿高校らしさではないでしょうか。

編集後記

今回インタビューに答えていただいた田久保裕之先生。実は、同窓生シリーズ2回目の登場となりました。1回目は、都立小山台高等学校定時制課程で教鞭をとられ、全日制硬式野球部の顧問として21世紀枠で選抜高等学校野球大会の出場を経験された時。その記事の中で、「いつか母校に戻れたら甲子園に出場したい」という夢を語られていました。

前回の同窓生シリーズの記事(2015年3月)

そして今回は、念願叶って、母校である新宿高校に戻られた田久保先生の赴任当初の様子や、この9年に渡るご指導・心境の変化など、1時間に渡りインタビューさせていただきました。とにかく、新宿高校を愛し、後輩にあたる生徒たちが可愛くて仕方がないという想いがこちらにも伝わってきて、子どもを預ける保護者としては「大家族主義」を体感できる、嬉しい時間となりました。

インタビュー時の様子

今回の記事の中では数行しか触れられませんでしたが、2022年11月、「野球も勉強も、そして地域の子どもたちに野球の普及活動を行っている新宿高校に興味があって来ました。」とイチローさんが訪問してくださった時のお話も伺い、学校に寄贈されたバットも見せていただきました。硬式野球部の部員たちは、直接イチローさんにノックの指導を受けたり、質問に答えていただいたり、2日に渡り貴重なアドバイスをいただくことができたようです。

イチローさんの指導に聞き入る野球部員
体を使って分かりやすく指導してくださるイチローさん
1歳年上、同じく高校球児だった兄の雄大さんと

お忙しい中、インタビューに答え、たくさんの資料や写真を提供してくださった田久保先生に心から感謝いたします。ありがとうございました。 (PTA 広報部)